民芸品のご紹介

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村松虚空蔵尊の真弓馬は「村松の立絵馬」とも呼ばれ、絵馬の古い形式を今に伝えています。古代より、祈願をしたり成就に感謝するために、寺社に絵馬が奉納されました。現在も、初詣や十三詣りの際に、家内安全や諸願成就など祈願したいこと・住所・氏名・年齢などを記して奉納されています。

真弓馬の起源は不明ですが、もともと真弓(常陸太田市真弓町)の山林で作っていたことが名称の由来とも伝えられますが、良馬を産した地方の名を付けたという説もあります。次のような伝承も残っています。
平安時代の終わり頃、源義家が奥州征伐の途上、常陸国に立ち寄り、戦勝を祈願して真弓神社に神馬と弓を奉納したという。江戸時代に徳川光圀が良馬の生産を促そうと、この故事にちなんで真弓馬を創案したといいます。
真弓神社周辺の真弓・亀作の農民たちが農閑期に真弓馬を作り、神社の境内で参拝者に販売していました。

「亀作と云ふ所ニて製す故ニ亀作馬とも云ふ」とあります。「もともと真弓でも作ったが、亀作で盛んに作られたので亀作馬ともいわれた」(吉原干城『太田盛衰記』)といいます。常陸太田市東部の山林地帯が、真弓馬発祥の地と考えられます。村松山で真弓馬が頒布されたのは大正年間のことです。「毎年旧三月十三日虚空蔵之十三参(詣)当日此之馬を売る」(「真弓馬絵図」)とされています。大神宮の「競馬会」の日にも売られたと伝えられています。一方、『日本の郷土玩具・関東』(美術出版社、昭和37年)は、真弓馬が売られたのは、正月15日の修正会、4月13日の例大祭の日としています。
十三詣りに訪れた男児・女児が帰途、真弓馬を買い求めました。虚空蔵堂に参拝し真弓馬を持ち帰った女の子は幸せになると言われ「開運馬」とも呼ばれていたという話も伝わっています(『植物を使った郷土玩具』国立科学博物館、昭和61年)。村松山に参拝した人々は、子供たちの健やかな成長を願う気持ちを真弓馬に託したのでしょう。

真弓馬は「義公おもちゃ」とも呼ばれ、常陸太田市の代表的な郷土玩具でもありました。(『常陸太田市史』民俗編、昭和54年)。昭和41年に開催された第8回日本民芸展(日本工芸館・民芸協団共催)では、村松山の真弓馬が「色彩の美」が高く評価され、郷土玩具入選400点の中から金賞に選ばれました。審査委員長史』民俗編、昭和54年)。昭和41年に開催された第8回日本民芸展(日本工芸館・民芸協団共催)では、村松山の真弓馬が「色彩の美」が高く評価され、郷土玩具入選400点の中から金賞に選ばれました。審査委員長の三宅忠は、作家的な作品を除外し、伝統民芸品と認定した作品の中から、審査員の投票によって公平に、かつ厳選したと述べています。(三宅忠「民芸運動の道」126『日本の民芸』№134、昭和41年11月1日)。
一時、製作者が途絶えましたが、現在は、村松虚空蔵堂がその技術を保存・伝承しています。


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