村松虚空蔵尊だより
2026年10月07日

こんにちは!茨城県の村松虚空蔵尊です。
「弘法大師」と「空海」は 同じ人物なのか、実際にはどんなことをした人なのか、疑問に思ったことはありませんか?
今回は、弘法大師・空海さまの生い立ちや唐での学び、人々の暮らしに残した功績をお伝えします。
空海さまが創建されたお寺もご紹介しますので、仏教や歴史の理解を深めるきっかけにしてください。
弘法大師とは、平安時代のはじめに活躍した僧・空海さまに、のちの世で贈られた称号です。
密教を学びに海を渡り、日本へ持ち帰って真言宗の開祖となりました。
四国のお遍路の始まりにも深く関わるなど、日本各地に数多くの伝説が語り継がれています。
どのような人生を歩まれたのか、人物像に触れながらたどっていきましょう。
「空海」は僧としての名前で、「弘法大師」は亡くなってから朝廷より贈られた諡号(しごう)です。
入定(深い瞑想に入ること)から86年後の延喜21年(921年)、醍醐天皇が生前の功績をたたえて授けました。
名前の由来を詳しく知りたい方は、こちらのコラムもあわせてご覧ください。
空海さまは奈良時代の末、774年に讃岐国(現在の香川県)で生まれました。
幼名は真魚(まお)。
幼いころから並外れて賢く、伯父の阿刀大足(あとのおおたり)のもとで中国の詩文や儒教を学んでいます。
15歳のころ都へ上り、18歳ごろに官吏養成の最高学府である大学へ進みました。
ただ、大学の学びは役人になるための内容が中心で、困っている人の力になりたいという思いとは食い違っていたようです。
空海さまは大学をやめ、仏の道に答えを求めました。
大学を離れた空海さまは、四国の山や洞窟にこもって修行に励みます。
このころの歩みが、のちのお遍路の原型になったといわれています。
きっかけは、ある修行僧から「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を教わったことでした。
虚空蔵菩薩の真言を100万回唱え、あらゆる経典を記憶する力を授かるという厳しい行で、50日から100日のうちに満願しなければなりません。
修行中に明星(虚空蔵菩薩の化身)が口に飛び込み、悟りを開いたとされます。
この悟りの地は、高知県室戸岬の御厨人窟(みくろど)と伝わります。
洞窟から見えるのは空と海だけだったことから、この光景にちなんで「空海」と名乗ったそうです
延暦23年(804年)、空海さまは留学僧として遣唐使船に乗り込み唐へ渡りました。
乗った船は航路を大きく外れ、福州長渓県赤岸鎮に漂着します。
そこで海賊の疑いをかけられた一行に代わり、嘆願書を書いたのが空海さまでした。
その書を目にした長官が並の人物ではないと見抜き、長安への入京を許したという逸話が残っています。
長安では梵語などを学びながら、半年ほどして密教の正統な継承者である長安・青龍寺の恵果和尚(けいかかしょう)のもとを訪ねました。
初対面の空海さまを弟子に迎えた恵果和尚は、密教の教えをすべて授けたといいます。
20年の予定だった留学は2年ほどで切り上げ、806年に経典や仏画、法具を携えて帰国しました。
帰国後は嵯峨天皇の信頼を得て、真言密教の布教が本格化します。
816年に高野山を修行の道場として開き、823年には東寺を託されて根本道場としました。
真言宗は大日如来を本尊とし、生きているこの身で仏の境地に至る「即身成仏」を目指す宗派です。
身(行い)・口(言葉)・意(心)の三つを仏に近づける「三密」の修行を通じて、人が生まれながらに持つ仏心を目覚めさせるとされています。
空海さまの活躍は、仏教の世界にとどまりません。
香川県の満濃池では、洪水で堤防の決壊が続いて困っていた人々のために修築工事の指揮を執りました。
満濃池はその後も改修を重ねながら、日本最大級の農業用ため池として今も周辺の田んぼを潤し続けています。
828年には京都に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開き、身分を問わず学べる場を実現しました。
書では嵯峨天皇、橘逸勢とともに三筆と称され、現存する漢字辞書では国内最古とされる「篆隷万象名義(てんれいばんしょうめいぎ)」も手がけたと伝わります。
835年3月21日(旧暦)、空海さまは62歳で高野山にて入定しました。
奥之院では今も瞑想が続き、人々の幸せが祈られていると信じられています。
仏教が日本に広まった経緯と、空海さまが果たした役割は、こちらのコラムで詳しく解説しています。
仏教はなぜ日本に広まった?伝来の歴史と弘法大師「空海」さまの功績

茨城県東海村の村松虚空蔵尊は、弘法大師・空海さまによって創建されたと伝わるお寺です。
「村松の虚空蔵さん」の名で親しまれ、日本三体虚空蔵尊の一つにも数えられています。
空海さまとの縁や、ご利益、境内の魅力をご紹介します。
唐から帰国した空海さまは、各地を巡りながら数々の伝説を残しました。
茨城県東海村を訪れた際に虚空蔵菩薩をお刻みになり、平安時代初期の大同2年(807年)に村松虚空蔵尊を建てたと伝わります。
虚空蔵菩薩は、空海さまが悟りを開いた修行「虚空蔵求聞持法」で真言を唱える仏さまで、知恵と記憶を司ります。
こうした由緒から、当山は「知恵授けの十三詣りの名所」としても知られています。
当山は無病延命や諸願成就のご利益で知られ、厄除けや出世開運を願う参拝者も多く訪れます。
護摩祈願は毎日行っており、事前の予約は要りません。
申し込みは護摩祈願受付所で承っています。
祈祷を終えたら、本堂の中でご利益のある護摩の煙を受けることも可能です。
初詣をはじめ、厄除けやお宮参り、節分追儺式など、さまざまな年中行事でも護摩祈願を行っています。

境内では、春の桜、夏の蓮、秋の紅葉といった具合に、季節ごとに違った景色に出会えます。
本堂(大摩尼殿)や三重塔、奥之院(多宝塔)、仁王門、開運堂、安産地蔵尊など見どころが多く、散策にぴったりの境内です。
ご利益を受けながら巡れるおさんぽコースもあり、「長寿・健康祈願コース」では、魔除け・病気除けを司る鍾馗霊神(しょうきれいじん)をお参りしてから、大日如来をお祀りする三重塔へ向かえます。
空海さまゆかりの地で、ゆっくり歩きながら手を合わせてみてはいかがでしょうか。
●弘法大師とは、真言宗を開いた空海さまに、亡くなってから贈られた称号です。讃岐国に生まれた空海さまは、大学を離れて修行に打ち込み、唐で学んだ密教を日本に根づかせました。
●空海さまは仏教だけでなく、満濃池の修築や庶民にも開かれた学校づくりなど、人々の暮らしを支える功績も残しています。
●弘法大師・空海さまが創建した村松虚空蔵尊では、事前予約不要で護摩祈願をお受けいただけます。ゆかりの地の空気にふれてみてください。
茨城県の村松虚空蔵尊は平安時代に空海(弘法大師)によって創建された寺院です。
茨城では「村松の虚空蔵さん」と呼ばれて親しまれ、初詣をはじめ、厄除けやお宮参り、節分追儺式などさまざまな年中行事で護摩祈願を行っています。
ぜひご来山ください。