村松虚空蔵尊だより
2025年09月02日
こんにちは!茨城県の村松虚空蔵尊です。
村松虚空蔵尊のある東海村は、茨城県那珂郡に位置する人口約3万7千人の村です。
日本で初めて原子力の火が灯った地として知られる一方、自然豊かで、子育てや教育支援も手厚く、暮らしやすさの面でも注目を集めています。
さらに、1200年以上の歴史を持つ村松虚空蔵尊をはじめ、寺社仏閣が点在する歴史情緒あふれる土地でもあります。
今回は、そんな東海村の歴史を中心に、村の魅力を幅広くご紹介します。
東海村は、茨城県の太平洋岸に位置し、県庁所在地・水戸市から北東へ約15kmの距離にあります。
東西南北ともに約8kmと、ほぼ円形に近い村域を持ち、総面積は約38平方キロメートルというコンパクトな地域です。
東側は太平洋に面し、西は那珂市、南はひたちなか市、北は久慈川をはさんで日立市と接しています。
水と緑に恵まれた地形のもと、自然豊かな村として発展してきました。
また、東海村は日本初の原子力関連施設が建設された場所としても知られており、「自然と科学が調和するまち」としても発展を続けています。
東海村では、自然や風土を象徴する「村の木・花・鳥」が定められています。
村の木は「クロマツ」です。
海岸線など村内の各地で見られ、古くから長寿を象徴する木として親しまれてきました。
村の花は「スカシユリ」です。
真夏に太陽に向かって咲く、明るく情熱的な花で、発展や向上の象徴とされています。
村の鳥は、「メジロ」です。
目のまわりの白い輪と美しいさえずりで知られており、地域の人々に愛されています。
東海村では、温暖な気候と豊かな土壌を活かした農業が盛んに行われています。
なかでも有名なのが、全国でもトップクラスの生産量を誇る「干し芋」です。
地元で収穫されたさつまいもを蒸して乾燥させた干し芋は、無添加で自然な甘みが楽しめる、冬の定番品。
東海村公式キャラクター「イモゾー」も、特産品であるさつまいもを象徴する存在です。
さらに、ぶどう、梨、いちごなど季節の果物も豊富に栽培されており、直売所では新鮮な旬の味覚を求める人々でにぎわいます。
東海村は、自然と科学が調和するまちであることもご紹介しましたが、その成り立ちは石器時代にまでさかのぼります。
ここでは、村がどのようにして現在の姿へと発展してきたのかを、時代ごとにわかりやすくご紹介します。
東海村の歴史は、石器時代から続く人々の営みによって形づくられてきました。
村内に点在する古墳や貝塚、出土した埴輪や石器、土器から、古くから人々がこの地で生活していたことがうかがえます。
平安時代には、東海村周辺は久慈郡に属し、美和郷や神崎郷と呼ばれていました。
当時、この地を治めていたのは豪族・佐竹氏でしたが、治承・寿永の乱で平家側についたため、源頼朝に領地を没収されました。
その後は鎌倉幕府の家臣による支配、室町時代には再び佐竹氏の支配、そして関ヶ原の戦い後には水戸藩の領地となるなど、時代とともに支配者が移り変わっていきました。
明治22年(1889年)の町村制施行により、「村松村」と「石神村」が誕生。
農業や漁業を基幹産業としながら、地域の暮らしが築かれました。
昭和30年(1955年)には両村が合併し、現在の「東海村」が誕生します。
昭和32年(1957年)、日本で最初の原子炉「JRR-1」が運転を開始し、東海村は「日本で最初に原子力の火が灯った村」として知られるようになります。
以後、原子力の研究・開発の拠点として施設が集まり、日本の科学技術を支えるまちとして発展してきました。
現在の東海村は、地方交付税交付金を受けていない「不交付団体」として、自主財源だけで安定した運営がなされています。
これは、原子力関連施設が立地することで得られる税収や交付金が大きな財源となっているためで、全国的にも珍しいケースです。
教育や子育て支援も充実しており、自然と先端技術が共存するまちとして、ベッドタウンとしても注目を集めています。
東海村には、悠久の時を感じられる歴史的な名所が点在しています。
ここでは、村の歴史や文化にふれることができる代表的なスポットをご紹介します。
村松虚空蔵尊は、弘法大師「空海」が開創したと伝えられる、東海村屈指の歴史あるお寺です。
本尊である虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は、知恵と福徳の仏さまとして多くの方に信仰されています。
特に、十三詣りや合格祈願など、人生の節目にお参りに来られる方が多く、世代を超えて地域の方々に親しまれてきました。
春には桜、秋には紅葉が境内を彩り、季節ごとに異なる表情を見せるお堂は、心を落ち着ける場所としても大切にされています。
季節の移ろいを感じながら、どうぞ気軽にお参りください。
お参りのタイミングやマナーについては「お寺はどんな時に行くもの?主な目的や訪れて良いタイミングをご紹介」を参考にしてください。
東海村には、美しく味わい深い景色を選定した「東海十二景」として知られる12カ所の名勝地があります。
村民による投票で選出され、四季折々の自然や文化を感じられる風景が揃っています。
東海十二景の全12カ所は以下のとおりです。
・稲荷社杉風(いなりしゃさんぷう):稲荷神社境内の杉並木と風の音が印象的
・冨士社晩霞(ふじしゃばんか) : 古墳上の神社が夕霞に映える風景
・石神城春草(いしがみじょうしゅんそう) : 石神城址の春の草原
・願船寺晩鐘(がんせんじばんしょう) : 願船寺の鐘の音が響く風情ある風景
・久慈川河口緑波(くじがわかこうりょくは):久慈川河口の緑波と水辺の穏やかな景色
・白方溜螢影(しらかたためけいえい) : 白方溜を中心としたホタルの里と水辺の景観
・阿漕ヶ浦夜桜(あこぎがうらやおう) : 夜桜が美しい阿漕ヶ浦公園周辺
・細浦青畝(ほそうらせいほ) : 干拓事業後の田園が広がる原風景
・村松晴嵐(むらまつせいらん) :村松山から望む朝霧の風景。水戸八景にも数えられます
・如意輪寺秋月(にょいりんじしゅうげつ) :秋の月光に照らされる如意輪寺の境内
・真崎浦夕照(まさきうらせきしょう) :沼地跡の黄金色の田園風景が夕陽に映える
・住吉社寒霜(すみよししゃかんそう) :住吉神社の寒霜に包まれた冬の静謐な姿
水戸八景とは、江戸時代に水戸藩9代藩主・徳川斉昭(なりあき)が命名した、風光明媚な8つの景勝地のことです。
詩情豊かな漢詩の世界を写したような風景が選ばれ、水戸藩の文化的な豊かさを今に伝えています。
水戸八景は以下の8カ所が選定されており、「村松晴嵐」は東海村に唯一所在する景勝地です。
・僊湖暮雪(せんこのぼせつ):水戸市・偕楽園
・太田落雁(おおたらくがん):常陸太田市
・山寺晩鐘(やまでらのばんしょう):常陸太田市
・広浦秋月(ひろうらのしゅうげつ):茨城町
・村松晴嵐(むらまつせいらん):東海村
・巌船夕照(いわふねのゆうしょう):大洗町
・水門帰帆(みなとのきはん):ひたちなか市
・青柳夜雨(あおやぎのやう):水戸市
村松晴嵐は、村松虚空蔵尊のある晴嵐山から望む、朝もやの中の景色を表したもの。
霧が晴れていく中に広がる田園風景と堂宇のたたずまいは、今なお訪れる人の心を癒やします。
東海村内には、詩や短歌が刻まれた石碑「詩碑」が点在しています。
「詩碑」には、村の自然や暮らし、人々の想いが表現されており、静かに歴史と向き合う時間をもたらしてくれます。
道を歩きながら、ふと詩碑に足を止めることで、当時の風景や人々の心に思いを馳せることができるのもまた、東海村ならではの魅力です。
●東海村は、茨城県那珂郡の太平洋沿いに位置する自然豊かな村で、水戸市から北東約15kmにあります。村域は東西南北約8km、総面積約38平方キロメートルのコンパクトな形。気候は温暖で、クロマツやスカシユリ、メジロといった「村の木・花・鳥」も親しまれています。干し芋などの農産物が有名です。
●東海村の歴史は石器時代までさかのぼり、古墳や土器が発見されています。平安時代には佐竹氏が支配し、その後は水戸藩の領地に。明治時代に「村松村」と「石神村」が誕生し、昭和30年(1955年)に合併して現在の村が成立しました。昭和32年(1957年)には日本初の原子炉が稼働し、原子力研究の拠点として注目されます。近年は教育や子育て支援も手厚く、科学と自然が共存する住みよい地域へと発展しています。
●東海村には、弘法大師・空海が開いたとされる村松虚空蔵尊をはじめ、歴史と文化を感じられる名所が点在しています。水戸八景に数えられる「村松晴嵐」や、四季折々の自然とともに選ばれた「東海十二景」も見どころのひとつ。村内にある詩碑や、伊勢神宮の分霊をまつる村松大神宮など、静かな時間が流れる場所では、東海村の長い歴史や人々の思いにふれることができます。
茨城県の村松虚空蔵尊は平安時代に空海(弘法大師)によって創建された寺院です。
茨城では「村松の虚空蔵さん」と呼ばれて親しまれ、当病平癒をはじめ、十三詣りやお宮参り、節分追儺式などさまざまな年中行事で護摩祈願を行なっています。
ぜひご来山ください。