村松虚空蔵尊だより
2018年08月27日
こんにちは!茨城県の村松山虚空蔵堂です。
子供の元気な成長を願って行う七五三のお参り。七五三で食べる「千歳飴」には、子供を思う親の願いが込められています。
今回は七五三の「千歳飴」についてのお話。
千歳飴の名前の由来や込められた意味、意外と知らない食べ方などをご紹介します。
七五三とは子供の健康と長寿を願う日本の行事です。
数え年で男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳のときにお寺や神社にお参りして祈祷をしてもらいます。
七五三は江戸時代に、江戸幕府5代将軍徳川綱吉が我が子の健康を祈ったことから、広く庶民に広まったと言われています。
今と違って江戸時代の頃はみんなが当たり前に大人になれるわけではなく、赤ちゃんの頃に流行り病などで死んでしまう子も多くいました。
無事に3歳まで成長するという事は大変喜ばしいことで、成長を祝い、この先の健康と長寿を祈る行事となったのです。
そのような時代背景の中で「飴のように長く伸びる」=「長生きする」と考え、「千歳まで長生きしてほしい」という思いから七五三では千歳飴が食べられるようになったと言われています。
千歳飴の由来は2つの説があります。
①江戸時代の元禄(1688~1704年)頃、浅草の飴売りである七兵衛が浅草寺の境内で「千年飴」を売り出したという説。
②江戸時代の元禄(1688~1704年)頃、大阪の飴屋「平野屋」が江戸に出てきて浅草寺の境内で「千歳飴(せんさいあめ)」を売り出したという説。
どちらの説が正しいか定かではありませんが、どちらも「長生きする=千歳まで生きる」という願いから名前がつけられています。
千歳飴は細長い棒状の飴で紅白の色が付けられており、袋には鶴亀や松竹梅、「寿」の文字などが描かれています。
千歳飴の形と袋の模様にはそれぞれこんな意味があります。
・細長い形状……長く生きる
・紅白の色……縁起が良い色
・鶴亀の絵……長寿の象徴
・松竹梅の絵……縁起物で力強さや健康を願う気持ち
・「寿」の字……縁起物でおめでたい意味
千歳飴には、親が子供の元気な成長を喜ぶ気持ちと、これからの健康と長寿を願う気持ちが込められているのです。
ちなみに、千歳飴の細長い形は直系14.5mm以内、長さ1m以内と決まっています。
紅白1本ずつか、または年の数だけ袋に入れるものが多いです。
歳の数だけ入れる場合は3・5・7本と必ず奇数になるので、白を1本多く入れるようです。
千歳飴は長いので、普通に舐めていてもなかなか食べきれません。
味に飽きたり、舐めているうちに先が尖って食べにくくなってしまいますよね。
そんな時は細かく砕いてジップロックや密閉容器で保存をして、少しずつ食べると食べやすいです。
「縁起物なのに折っても良いの……?」と思う方もいるかもしれませんが、恵方巻などとは違って千歳飴は折ったり砕いたりしても特に問題ありません。
千歳飴は砂糖や水飴、でんぷんなどが原料のため、料理の調味料として使うのもおすすめです。
煮物や煮込み料理の甘味としたり、ホットミルクに入れたり、クッキーやプリンなどお菓子作りに使用するレシピもあります。
また、千歳飴は本来、子供の健康と長寿を願ってみんなで食べるものです。
千歳飴が始まった江戸時代には砂糖は貴重品で、家族みんなで大切に食べていました。
現在でも七五三参りのお土産として持ち帰って家族で食べたり、いただいたお祝いのお返しとして贈ったり、地域によっては「お福分け」として親戚やご近所に配る風習もあります。
子供の健やかな成長と長寿を願って、ぜひ家族全員で食べてみてはいかがでしょうか。
・子供の成長を祝い、健康を願う日本の行事「七五三」では、子供の長寿を願って「千歳飴」がお土産として定着しました。
・千歳飴には「長く生きる(=千歳まで生きる)」という親の願いが込められ、江戸時代に始まったとされます。飴の細長い形状、紅白の色、袋に描かれた鶴亀や松竹梅などの縁起の良い絵にも、子供の成長や長生きなどの願いが込められています。
・千歳飴は折ったり砕いたりして食べて問題ありません。細かく折って食べると食べやすくなり、料理やお菓子の甘味として使うのもおすすめです。江戸時代、砂糖は高級品だったため、千歳飴は家族みんなで食べるものでした。子供の健やかな成長と長寿を願って、ぜひ家族全員で食べましょう。
茨城県の村松山虚空蔵堂は平安時代に空海(弘法大師)によって創建された寺院です。
茨城では「村松の虚空蔵さん」と呼ばれて親しまれ、七五三をはじめ初詣や十三詣りなど様々な年中行事で護摩祈祷を行っています。