村松虚空蔵尊だより
2019年01月30日
こんにちは!茨城県の村松山虚空蔵堂です。
子どもの健やかな成長を祝い願う七五三。
そもそも7歳・5歳・3歳でお祝いをするのはどのような意味があるのかご存知でしょうか。
今回は七五三の詳しい由来や起源についてのお話。
7歳・5歳・3歳の年齢それぞれの意味についてもご紹介します。
七五三は3歳、5歳、7歳を子どもの成長の節目とし、その年の11月15日に神社やお寺などを参拝します。
これまで子どもが無事に成長したことを仏様・神様に感謝し、今後の健やかな成長を願う年中行事です。
医療が発達する前の時代では、子どもが小さいうちは思わぬ事故や病気での死亡率がとても高く、「7歳までは神の子」と言われるほどでした。
3歳、5歳、7歳は成長に伴い特に病気になりやすいとされる年齢で、その年齢まで無事に成長できたことを感謝し、これからも健康に成長できるよう祈るための行事として行われてきました。
11月15日に七五三の参拝を行うのにはいくつかの説があります。
中でも有力なのは、江戸時代の天和元年11月15日に徳川幕府第5代将軍徳川綱吉が、病気がちだった自分の息子の健康を祈ったことから始まったとされる説です。
その他にも還暦の11月15日には豊作を感謝する「収穫祭」があり、豊作と同時に子どもの成長も祝ったとされる、11月15日が縁起のいい「鬼祝日」にあたるため、などの説があります。
七五三の起源は平安時代までさかのぼると言われています。
平安時代には男女とも3歳になると大人の準備として髪を伸ばし始める「髪置(かみおき)の儀」、5~7歳ころには初めて袴を着る「袴着(はかまぎ)の儀」が行われていました。
どちらも子どもから大人へ成長するための準備です。
また、鎌倉時代には着物を着るときに紐ではなく、大人と同じように帯を使って着るようになることを「帯解きの儀」で祝うになりました。
これらの儀式が七五三の起源になっていると言われています。
この様な昔ながらの儀式が、江戸時代には武家や裕福な商人たちの家でも行われるようになって少しずつ広まり、明治時代には庶民の間でも広く行われるようになりました。
その後、明治時代には3つの儀式をまとめて七五三と呼ぶようになりました。
ひとまとめにされてはいますが、実は3歳・5歳・7歳で由来となる儀式や意味が異なります。
それぞれの年齢での七五三の意味をご紹介します。
男女の子どもが3歳になったお祝いです。
平安時代では3歳になるとそれまで剃っていた髪を伸ばし始める「髪置(かみおき)の儀」を行っていました。
昔は特に3歳までは死亡率が高く、無事に3歳を迎えたことをお祝いする意味があります。
男の子は5歳頃になると、子ども用の着物から大人と同じ袴を身に着けるようになります。
この大人の男性としての第一歩を踏み出したことをお祝いした「袴着(はかまぎ)の儀」が5歳のお祝いの起源となっています。
男の子のみのお祝いです。
女の子は7歳頃になると、それまで紐でとめていた着物を大人と同じように帯を使って着るようになります。
「帯解(おびとき)の儀」として、大人の女性の第一歩を踏み出したことを祝います。
これを由来とした女の子のみのお祝いです。
・七五三は、3歳・5歳・7歳を子どもの成長の節目として、無事成長したことを仏様・神様に感謝し、これからの健やかな成長を願って神社やお寺を参拝する年中行事です。江戸時代に徳川綱吉がわが子の健康を祈って11月15日に祈願をしたことから、11月15日に参拝を行うようになったと言われています。
・七五三の起源は平安時代までさかのぼります。子どもの死亡率が高かった時代、3歳まで無事に成長したことを祝い、その後5歳、7歳と成長の節目となる儀式を行ったことが由来と言われています。
・3歳では「髪置(かみおき)の儀」を由来として男女の成長を祝います。5歳では男の子の「袴着(はかまぎ)の儀」を由来に、7歳では女の子の「帯解(おびとき)の儀」を由来にそれぞれの健康と大人への成長を祝い願う行事となります。
茨城県の村松山虚空蔵堂は平安時代に空海(弘法大師)によって創建された寺院です。
茨城では「村松の虚空蔵さん」と呼ばれて親しまれ、十三詣りをはじめ初詣や七五三など様々な年中行事で護摩祈祷を行っています。