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神社姫(じんじゃひめ)とは?予言獣として広まった経緯や歴史をご紹介

2020年11月12日

神社姫(じんじゃひめ)とは?予言獣として広まった経緯や歴史をご紹介

Wikipedia「神社姫」より 『我衣』にある「神社姫」の挿絵

 

 

こんにちは!茨城県の村松山虚空蔵堂です。

 

新型コロナウイルスが世界中に広まり、マスクやソーシャルディスタンスといった新しい生活様式へと移行し、皆さん戸惑いながらも日々奮闘されていると思います。

 

そんなコロナ禍で2020年にSNSを中心に話題となった妖怪アマビエ

このアマビエ以外にも、疫病退散のご利益があるとされる「神社姫(じんじゃひめ)」をご存じでしょうか?

 

神社姫はどんな姿かたちをしているのか、その歴史や祀り方などを詳しくご紹介します。

 

 

予言獣「神社姫」とは?歴史や各地に広まった理由

予言獣である神社姫について詳しくご紹介していきましょう。

 

神社姫はどんな妖怪?

神社姫は江戸時代から日本に伝わる妖怪です。

 

見た目は長髪で人のような顔に2本の角、細長い胴体に3股の尾びれがついた人魚のような姿。
この姿を写した絵には、疫病除けのご利益があるとされています。

 

神社姫やアマビエは「予言獣」という妖怪の一種で、豊作や疫病の流行など未来の出来事を予言し、厄除けの方法を伝えます。

 

予言獣は江戸時代後期から刷り物や錦絵(浮世絵の一種)に描かれ、主に疫病除けの目的で庶民に求められました。

 

 

神社姫の歴史や人々に広まった理由は?

神社姫に疫病除けのご利益があるとされる記録は、江戸時代の医師、加藤 曳尾庵(かとう えびあん/えいびあん)が執筆した随筆『我衣(わがころも)』に以下のような記載があります。

 

「文政2年(1819年)4月18日、肥前国(佐賀~長崎県)の浜辺に、大きさ二丈(約6メートル)ほどで、人のような顔、頭に角のある人魚のような者が現れた。
その者は『我は竜宮よりの使者、神社姫である。』『この年より7年は豊作になるが、虎狼痢(コロリ、コレラ)という病が流行する。そこで我が姿を写し描いた絵図を見れば病難を免れ、さらに長寿を得られるだろう』と言って去っていった。」

 

この年には赤痢が流行し、多くの家で神社姫の写し絵が重宝されたそうです。

 

このことから、神社姫の姿を描くことで疫病除けのご利益があると言われています。

 

昔は疫病の原因がわからず、神仏に終息を祈るしかありませんでした。

そのため、神社姫やアマビエといった予言獣を描いた絵を飾り、不安な気持ちを払拭しようとしたのです。

 

現代の新型コロナウイルスも未だ完全な終息の目処が立たず、出口のないトンネルを進むような不安があるかと思います。

 

神社姫はその出口のないトンネルに、光を与えてくれるような存在なのかもしれませんね。

 

 

神社姫の他に疫病除けのご利益がある神様や妖怪は?

フクロウの模様の手作りマスク

神社姫の他にも疫病除けのご利益があるとされる妖怪や神様がいます。

 

神社姫と似た姿の『姫魚(ひめうお)』、上半身が女性の体で下半身を巻貝に収めた『海出人(うみでびと)』、人の顔を持つ牛『件(くだん)』。

これらは神社姫と同じ予言獣です。

 

また、疫病除けのご利益があるとされる神様に『鍾馗(しょうき)様』がいます。

鍾馗様については「鍾馗(しょうき)様とは?鍾馗様の伝説や飾り方をご紹介!」でも詳しくご紹介していますので、ぜひご覧くださいね。

 

虚空蔵堂の裏手にも鐘馗霊神堂があり、お堂の中には鐘馗霊神の絵馬が祀られています。

延宝三年(1675)に伝染病が大流行したとき、鐘馗霊神の絵を奉納したところ大流行が治まったと伝えられ、今も多くの人が参拝しています。

 

 

まとめ

● 神社姫とは江戸時代から日本に伝わる妖怪のこと。

見た目は長髪で人のような顔に2本の角、細長い胴体、3股の尾びれがついた人魚のような姿です。

この姿を写した絵には、疫病除けのご利益があるとされています。

神社姫は江戸時代の医師、加藤曳尾庵が執筆した随筆『我衣』に記録が残っています。

 

● 神社姫の他にも神社姫と似た姿の『姫魚(ひめうお)』、上半身が女性の体で下半身を巻貝に収めた『海出人(うみでびと)』、人の顔を持つ牛『件(くだん)』という妖怪、『鍾馗(しょうき)様』という神様がおり、疫病除けのご利益があるとされています。

 

 

厄除け・厄払いはぜひ茨城県の村松山虚空蔵堂へ。

茨城県の村松山虚空蔵堂は、平安時代に空海(弘法大師)によって創建された寺院です。

 

当山本堂の裏手には鐘馗霊神堂があり、お堂の中には鐘馗霊神の絵馬が祀られています。(諸堂・境内案内図はこちら

延宝三年(1675)に伝染病が大流行した時、鐘馗霊神の絵を奉納したところ、大流行が治まったと伝えられ、今も多くの人が参拝しています。